FC2ブログ

記事一覧

ローテンブルクはいつから日本人に愛される観光地になったか

ローテンブルク マルクス塔

1.日本人に人気のロマンチック街道
 ドイツを代表する観光地と言えば、日本では、ロマンチック街道、中でも白鳥の城ノイシュヴァンシュタイン城が有名ですが、それに次ぐのが中世の宝石箱と謳われるローテンブルクでしょう。でもこのドイツ旅行の傾向が日本人特有だということをご存知でしたでしょうか?2013年のロマンチック街道都市の宿泊数の国際比較を行った私の研究によれば、日本人(ホテルで居住地を日本と申告した方)のロマンチック街道宿泊数は年間154,418泊で、ドイツでの総宿泊数に占める割合は11.8%です。これに対して日本人に次ぐ宿泊数のアメリカ人が122,360泊で割合が2.4%ですから、いかに日本人観光客が好んでロマンチック街道に泊っているのかが分かります。ちなみに2013年のローテンブルクにおける日本人宿泊数は79,843泊で、ドイツ人を除く外国人の中ではもちろんナンバーワンです(典拠1)。1日当たり218人ですから、それはあの狭い城塞都市の中で日本人の姿がよく目に付くわけです。
 なぜここまでローテンブルクは日本人に愛されるようになったのでしょうか?ローテンブルクを含むロマンチック街道の人気化については、1976年に始まるドイツ観光局のキャンペーンが成功したからという話は、旅行業界では有名です(記事1記事2)。それはその通りなんでしょうが、ローテンブルクという観光地と日本人の関係は1976年に始まるわけではありません。

2.大正人が見たローテンブルク
 日本人で初めてローテンブルクを観光したのは誰だったのでしょうか?今となっては知る由もありませんが、日本最大の蔵書量を誇る国立国会図書館のデジタルコレクションで、「ローテンブルク」ないし「ローテンブルグ」でワード検索すると、最も古い文献は1915年と表示されます。大正4年です。『歴史地理』という現在でも存在している歴史ある学術雑誌に、阿部秀助という人物が書いた「中世都市の典型としての『ローテンブルグ』」という記事です。阿部秀助は慶応大学教授で1910年~1912年にドイツ留学していますから、その時の旅行体験を元にこの記事を書いたのです。
彼の専門は経済史でしたから、中近世の都市の発展を知るためにローテンブルクを訪れたようです。彼は記事の中でローテンブルクは「南方に僻立している上に、交通も不便であるから、この都市を訪れた日本人は・・・極めて少数のことと思う」と書いています。さすがに自分がローテンブルク初の日本人とは言っていませんが、「極めて少数」ですから、数番目という認識だったのでしょう。さらに彼はローテンブルクの印象を「いずことなく中世的気分の漂っていることは、かの疲れたアルノーの河畔でも、ヴェニスのゴンドラの中でも味わうことのできない史的回想に充ち充ちていた」と書き、アルノ河畔のフィレンツェやヴェネツィアでも味わうことのできなかった中世的雰囲気に感心したように書いています(典拠2)。
 阿部の記事はローテンブルクの歴史と地理をかなり詳しく紹介しており、一種の観光案内でもありましたから、後続の日本人の参考になったことでしょう。国立国会図書館で2番目に古い文献は、ドイツ文学者林久男の旅行記『芸術国巡礼』の一節「昔ながらのローテンブルク」で、刊行年は1925年(大正14年)です。林は1922年~1924年にドイツ留学していますからその時の体験記です。彼は「ローテンブルクほど、ふるいものをそのままに昔ながらの姿で、そっくりわれわれの眼の前にひろげてくれる不思議な町がほかにあろうか。〔中略〕この町の逍遥は、直に人の心を、伝説に富めるロマンティックの中世へ引いていってしまう」と感激を隠さない書き方をしています(典拠3)。大正ロマンの人をしてそう言わしめるほどローテンブルクはロマンチックで中世の伝説を想起させる町だったのです。もっとも阿部も林も東京帝大卒ですから、すでに雑然とした近代都市に変貌していた大正時代の東京をよく見ており、彼らのローテンブルクの印象も別に不思議なことではないのかもしれません。とにかく大正時代の人間から見ても中世そのままに見えてしまう街、それがローテンブルクなのです。

3.戦後、ドイツ旅行の定番に
 その後昭和に入ってからもローテンブルクを訪れた留学生=学者たちがその旅行体験記を発表し続けたため、観光地としてのローテンブルクの知名度は高まりました。そして戦後の海外旅行自由化の年である1964年に、初の各国別海外旅行ガイドブックとして小学館から出版された『世界の旅』シリーズのドイツ編でも「ロマンティッシュ・シュトラーセぞいにあるローテンブルクの街。古びた城門、年輪を経た家並みなど、中世の夢を今に秘める姿」、「ここに一晩泊ったら、だれでも現世の憂さをしばらく忘れることは疑いない」と写真入りで手放しに称賛されています。人口1万程度の小都市ローテンブルクは、パッケージツアーが発売され始める海外旅行元年の1964年までに、すでにドイツ有数の観光地になっていたのです。1971年には、JTBのツアー「ルック」のカタログにも写真入りでローテンブルクが登場し、ローテンブルクはドイツ旅行の定番になっていきました(典拠4)。
 以上のように、ローテンブルクの人気はドイツ観光局のプロモーションだけによって高まったわけではなく、100年以上前の大正時代から、伝説に富むロマンチックな中世を想起させる街として、旅行者によって連綿と紹介・推薦されてきた結果なのです。

ドイツ観光局広報マネージャー 大畑悟

ローテンブルクへのツアーは↓







【典拠】
典拠1:大畑悟(2016):ドイツ・ロマンチック街道の日本人旅行者の統計分析 -「ロマンチック街道の統計2013」における宿泊者数の国際比較-, 観光研究, Vol.27, No.2, pp.79-80

典拠2:阿部秀助(1915):中世都市の典型としての「ローテンブルグ」, 歴史地理, Vol.26, No.2, pp.13-14

典拠3:林久男(1925):芸術国巡礼, 岩波書店, pp.212-213

典拠4:大畑悟(2015):ロマンチック街道の誕生 -1950~1972 年の日独の旅行ガイドブックにおけるロマンチック街道の観光の言説-, 観光研究, Vol.26, No.2, pp.54-57

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ドイツ観光局 大畑悟

Author:ドイツ観光局 大畑悟
ドイツ観光局広報マネージャー。
東京大学大学院博士課程満期退学。
ウィーン大学留学。
専門は歴史学(ドイツ観光史)。
Twitter.com/SatoruOHATA
転載や寄稿の依頼などは、satoru.ohata(a)germany.travelまで。

最新コメント

フリーエリア

ドイツ観光情報のツイート